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2020年07月09日

 

むかしからなんですが、ものごとをおおげさに

捉えすぎてしまうところがあります。

 

他人からみれば些細なことでも、人生の一大事

のようにもおもってしまいます。

 

ものごとを必要以上におおげさに捉えたり

悩んでしまうのが自分なんだと認めるところから

スタートしていけばいいのだと感じてもいるの

ですが。

 

いってみれば、そう考えざるを得ないのが

自分だということです。

 

他人はそれほど、ものごとに執着していないもの

なのかもしれません。

自分は些細なことに執着するそれだけの違いです。

 

新型コロナに対しても他人よりオーバーに怖がって

しまったりもします。

他人はそれほど気にしていなかったりして、

なんでこんなに怖がっているんだろうと

自分が情けなくもなります。

なんでこんなおもいに時間をついやしているんだろうと

むなしく感じることもあります。

 

でも、考えてみると、怖がりながら行動していくこと、

恐怖で外出できなくなることがないように生活して

いくのが自分のスタイルなのかもしれません。

 

他人がどうおもっても、自分の行動に自信をもつこと。

「そんなに怖がっててバカみたい」とおもわれたとしても

最後は自分で自分を認めてやるしかない。

 

今現在、書いておきたいのは

 

コロナが恐くて本当に外出ができなくなってしまっている

方たちにです。

 

自分みたいに毎日、恐怖を感じている人はそう多くは

ないかもしれません。

 

外出できないなんてなんていう人も、今はそれほどいないの

かもしれません。

 

もし自分と同じように感じる人がいるとしたら、

 

恐怖を感じ、注意しすぎるほどしすぎても、いいのだとおもいます。

 

一日30分でも毎日外に出ることができればそれでいい

のだとおもいます。

 

一番怖いのはまったく外に出れなくなってしまうことです。

 

自分も3月初めに外に出でれないときがあって、精神的に

疲れ果ててしまいました。

 

恐さを感じながらも生活を楽しむ。この両立があっても

いいのだよなと今は感じています。

(^_^)/

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夜のおやつです。一枚食べます。いただきます。

 

by コロンボ




keyakinokaikeyakinokai at 09:32

2020年07月03日

東京の感染者数が100人を越えました。

 

以前、東京で初めて100人を超えたころは

かなり動揺しました。

 

そのときは「早く緊急事態宣言を出してくれよ」

というおもいでみてました。

 

今回、この数字を聞いて恐怖を感じましたが

以前より精神的に鍛えられたのか

「また来たか」という気持ちで受け止められる

余裕があります。

 

実際に自分やまわりのひとが感染したらとおもうと

恐怖なのですが。

 

「自分だけがつらいおもいをしているわけではない」

ということを精神障害当事者の方たちと

共有できたらいいなと感じます。

 

誰もがみな、つらいおもいを感じている。

自分だけではないとおもうだけでも

肩の力がスッと抜けていくような気もします。

 

特におもうこともあります。

 

「感染が恐いから」といって、薬がなくなっているのに

精神科への通院を断ってしまわないほうがよいのではということです。

そのことで精神状態が悪化してしまったら、

眼前の敵であるウイルスにも対峙できなくなってしまいます。

 

感染は怖いですが通院をしっかりして、服薬をちゃんとする

という基本がなければ、ウイルスにかかるよりも先に

精神的にやられてしまいます。

 

「こうゆうときには薬は効かない」とおもってしまうかもしれませんが

自分たちにできるのは基本を守ることだけなのかもしれません。

 

うがい、手洗いをして、マスクを着用する。

密をさけて、ソーシャルディスタンスを守る。

食事をしっかりとり、よく眠り、よく笑う。

 

自分たちにできることは限られています。

 

通院においても、生活においても基本を守るしかない

ともいえるのかもしれません。

 

最終的には自分のことは自分で守るしかないのかもしれません。

 

だからこそ、精神科断ち、服薬断ちはしない方がいいとおもいます。

 

今後、自分のようにこころが強くない人が

精神的にまいって倒れていってしまうことがないように

祈っています。

 

自分も精神的に強くならないとな。

 

ガンバロー!オー!( `ー´)

 

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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 09:10

2020年06月26日

 

「まさか」の半年でした。

 

こんな事態になっているとは思いもよりませんでした。

 

今年やりたかったことも、きれいさっぱり

頭の中から消えていきました。

 

こんな中でも、今回の騒動は自分にとっていろいろ

考える機会になりました。

 

まず、小さなことを気にしてもしょうがない

次に、物事にこだわりすぎてもしょうがない

 

「しょうがない」と考えたほうがよいということも

多いのだなと思い知らされました。

 

自分ではどうにもならないことを悩んでも仕方がない。

 

日常が戻ってくるにつれて、また元の細かいことに

こだわってしまう自分に戻ってきているのを

感じつつも、

少しは気が楽になったようにもおもいます。

 

こうゆうことを少しでも実感として感じる機会になったことを

前向きに捉えたいです。

 

先のことはわからない、何が起こるかわからない。

 

新型コロナウイルスにかからなくても、

ほかの病気になるかもしれないし、怪我をすることが

あるかもしれない。

 

何が起こるかわからないこそ、毎日の生活や時間のたいせつさ

にも気づかされました。

 

ここまで書いてきたような、ありきたりなことを

素朴に感じている自分を「凡人だなー」とおもいつつ

これが実感なんだよなとおもいつつ。

 

今後、第2波と呼ばれるものが来るのかもしれないと覚悟しつつ

「あまり気にしないように、十分注意しながら」

今年後半の時間を無駄にしないように過ごしてゆきたいとおもいます。

 

世の中の状況と関係なく、「時間」は流れて行ってしまうものだから。

 

 

 

fffff
 

 

 

 

いまだ、外食に二の足を踏んでいます

 

 

by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 09:28

2020年06月22日

東京都の休業要請解除、移動自粛解除、

プロ野球の開幕。

 

さまざまなことが日常に戻る方向に

あります。

 

自分は緊急事態宣言が出ていたころは 

息が詰まるような気持ちでいました。

 

が、日常が戻ってくればくるほど、

なにか「さみしさ」も募ってきます。

 

そもそも、東京に行って街をブラブラ

買い物をしたり、県をまたぐ移動を

したりすることもなかったです。

プロ野球もテレビ観戦のみでした。

 

そんな自分にとって自粛はあまり関係

ありませんでした。

 

自粛中は老若男女、有名人、地位のある人

関係なく自粛を求められ、ある種の

連帯感のようなものも感じてました。

 

それが緩和されてくると、自分だけ

前の生活となんら変わってないじゃんと

取り残された気持ちになってしまったりも

するのです。そこに「さみしさ」も感じます。

 

だからといってウイルスが蔓延していたほうが 

いいというわけではありません。

 

ただ、自分自身のなにもしていない部分というのが

際立って感じられてしまい、

なんかポカーンとしてしまうのです。

 

なにかを頑張っていたひと、新生活をあらたな

気持ちで楽しもうとしていたひと、なにかを

変えようとおもっていたひと、大勢のひとが

目の前をふさがれてしまいました。

 

今後は自分自身も、少しでもいいから

コロナ前よりも楽しい生活を送れるよう頑張ろう、

新しいこともやってみようとおもいます。

 

そうでないとコロナ禍で自身の危険をかえりみず

働いていたひとたちに対しても失礼なような

気がします。

 

といっても肩に力を入れず、ささやかな毎日を

たのしく、たいせつにすごす。

 

それが社会の一員である個人として大事な

ことなのかもしれないとおもっています。

 

さぁ、なにをやろうかな。

 

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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 11:19

2020年06月11日

自分は親に対して強く言ってしまうことが

あります

 

今年の冬、庭仕事をしている母に

「いま風邪をひいたらコロナかどうか

 わからなくなっちゃうからやめとけよ」

 

それに対して、

母は「そんなことはわかってるんだから

余計なこと言うな」と怒ってしまいます。

 

それでも自分がしつこく言うと、

もっと怒って話を聞かなくなります。

 

考えてみれば

自分がなにかを夢中になってやっているときに

止められたとしたら、

母と同じように怒ってしまうかもしれません。

 

それでも親子の場合はぞんざいな言い方を

したとしてもケロッと忘れてしまいますが。

 

他人に対してなにかを言うということは、

とてもむずかしいことだろうとおもいます。

 

自分が不満におもうことがあったとしても、

たぶん何も言えない。

 

他人は他人でその人の意思で発言、行動しているのだから

なにかひと言いうというのは、

余計なお世話にもなってしまうかもしれません。

 

それでも誰かの発言、行動に対して疑問を持ってしまった

場合、心の底にうっすらとストレスがたまって

いくのを感じます。

 

この場合、誰かの発言、行動が正しいのか、自分の不満が

過剰なのか、ジャッジしてくれる人は

いないし、そんなことはだれもできないかもしれません。

 

自分のなかで、よくわからないウップンだけが

蓄積していきます。

 

他人に対して「それはおかしいよ」というには

余程の度胸がいることとおもいます。

 

人と人がかかわるということは、いいことばかりでなく、

あつれきを生むこともあると認識しつつ、

自分自身が誰かのストレスや不満のもとになってないかを

あらためてみつめてみる機会にもなるのかもしれません。

 

他人の発言、行動に不満をもつ前に、自分の行動に注意する

そのことが大切なのかもしれません。

 

他人が自分のおもうようにならなかったとしても、

人がひとりひとり意思をもった個人である以上

当たり前のことです。

 

自分のおもうようにならないからといって他人になにかを

強要するようなことだけはしないようにしたいです。

 

ただ、母には余計なことを言いたくなっちゃうんだよな。

親子は別かな。

 

 



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なかなかおいしかったです。

 

by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 09:28

2020年06月02日


「数」が少なければホッとする

 

「数」が多いと不安になる

 

この数ヶ月、数字にほんろうされてきました

 

数が少なくて安心というのは、まやかし

 

自分がその少ない中の一人になってしまうかもしれない

 

それともそれは、自分の大切な人かもしれない

 

人が生きているということは統計上の数字に左右されることではなく

 

たった一人の自分を自分でおもいやってやること

 

利己的ですか?

 

ただ自分を大事にすることで

ひとをだいじにすることもできるのかもしれません

 

ひとりひとりが数字にあらわれないところで

苦しみながら生きていることをちゃんとみつめていきたい

 

大切なのは数字だけではない

 


by からあげ弁当

          




keyakinokaikeyakinokai at 10:33

2020年05月29日


体重が3キロ減った

 

 コロナ太りしてしまうかとおもっていましたが

 コロナストレスで痩せました

 食生活も変わりました

 食べたいものをただ黙々と腹に収めるという

 ことをしなくなり、野菜を多く食べるように

 なりました

 ポテチもだいぶ食べなくなりました

 3キロってたいしたことないのかな?

頭痛がなくなった

 

 規則正しい生活をして、検温するように

 なってから体調が悪くなることが少なく

 なくなりました

 皆さんもどうぶつの森をやりすぎないで

 早く寝たほうがいいですよ

本をたくさん読もうかとおもっていましたが

 全然読めませんでした

 

 感染者数の増加が激しかった時には

 落ち着いて本を読んでいる気分にはなれませんでした

 最近になってやっと感染症に関する歴史の本や

 新型コロナに関する本などを読めるようになりました

 社会が落ち着きをなくしているときは、優雅に

 ティーなどを飲みながら本を楽しもうとは

 おもえないものですね

ワイドショーをえんえん見続ける

 

 恐怖を煽られることがわかっていながら

 気づけば新型コロナの情報ばかり集めていました

 今一番怖いフレーズは「第2波」です

 

 

緊急事態宣言が解除されたときはなんとなく気持ちが

軽くなる部分がありました。

精神的にかなり重しになっていたんだなと実感してます。

解除はされましたが、ひとが動き出せば必ず

感染者数は増えるとおもいます。

新型コロナに対する武器(ワクチン・治療薬)がない

以上、不安な日々は続いていくとおもっています。

再度、緊急事態宣言発出とならないよう祈ります。

 

 

あと、5キロくらいやせたいなぁ。

 


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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 11:51

2020年05月22日


 

マスクをしているのが当たり前になりました。

 

逆にマスクをしていないほうが

気持ちが落ち着きません。

悪いことをしているような気持ちにもなってしまいます。

 

「マスクコミュ二ケーション」の誕生です。

 

相手の表情をみすぎて、動揺しやすいたちなので、

自分にとってはマスクをしているほうがコミュニケーション

をとることへの抵抗感が低くなっているような感じがします。

一枚かべが置かれることで気が楽になるような。

 

ただ問題なのは、自分は目に感情が表れにくいと思って

いるうえに、一重なのできつく思われていないかというような

気にしなくていいことも考えてしまうことです。

 

いちばん悩むのは

 

精神科を受診したときにマスクを外すか外さないかです。

 

先生からみれば、患者の精神状態をはかるのに表情から

受け取れる情報量はかなり多いのだろうともおいますが、

状況が状況だけにマスクをしていることがエチケットともおもいます。

 

実際、先生には聞けませんが、みなさんはどうしてますか?

 

 

今後は目だけのコミュニケーションが重要になってくると

おもいます。

 

目は口ほどに物を言う

 

今まで以上にアイコンタクトしたり、言葉でフォローすることが

増えるかもしれません。

 

マスクをすることでコミュニケーションへの抵抗感が

低くなることにより、コミュニケーションの能力があがったり

したらそれはそれでいいことかもしれません。

 

心配なのはマスク時間が長くなることで、表情筋が弱って

顔が変わってしまわないかということです。

 

なんだかんだ書いてみましたが、

 

満面の笑みをみれないというのも

 

なんだか寂しいものですもんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

夜、食べました

 

by コロンボ

 

keyakinokaikeyakinokai at 10:22

2020年05月15日


 

新型コロナウイルスは人とひととの関係を

分断するもの、

コミュニケーションをとることすら

許さないもののようにおもっていました。

 

それと同時にウイルス自体は人からひとへと

伝染していくものであります。

 

人がコミュニケーションを断絶することが

できないということが前提である以上、

その隙をついてウイルスというやつが

増殖するというのは

とてもやっかいなことだなとおもいます。

 

人とひととの接触を媒介としてウイルスが

増幅する以上、

自分の行動がまわりの環境、人たちとは

無関係であるということはありえないという

ことなのかもしれません。

 

「自分の自由なのだから何をやってもいいのだ」

というのは、新型コロナ禍においては

自分勝手な行動ということになるのかもしれません。

 

コロナに関係なく、特におもわされたことは

自分の行動がまわりにどのような影響をか

あたえることがあるということです。

 

精神病の一当事者でしかない、とるに足らない

自分という存在の行動がまわりに何かしら

影響をおよぼすかもしれないという事態に

なるなんて考えもしませんでした。

 

コミュニケーションの分断という状況下で逆に、

自分も社会とつながってるんだなということも

感じています。

 

これだけ社会が経済的犠牲、身体的、精神的犠牲を

はらっている以上、

小さな存在である自分のなかだけでも何らかの

教訓を得たいものです。

 

精神科に入院したとき、

人生を無駄に過ごしてしまったと後悔の念しか

持てなかったときのようにならないように、

この状況をちゃんとみつめて、

なにか一つでも糧になるようなことを

みつけられたらとおもいます。

 

最後に一言

 

みんな絶対かからないようにしよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

by コロンボ 

keyakinokaikeyakinokai at 11:00

2020年05月08日

ゴールデンウィークが終わりました。

 

今年も例年と変わらず、家でゴロゴロ

しているだけでしたが、

なんか頭の上におもりを置かれたような

息苦しさも感じるものでした。

 

家にいても不安になることもあります。

とつぜん発熱したらどうしよう。

体調の変化にも過敏になってしまいます。

それだけではなく、家族の調子にも

気を配らなければなりません。

 

神経質になりすぎて疲れ果ててしまいそうです。

 

休みのうちは、家で過ごすのもやむなし

とおもってステイホームしていた人たちも

会社が始まってどうなるのか、

人の動きがどうなるのか気になります。

 

自分が気にしても仕方ないのですが。

 

テレビで見たのですが、感染症の対策は

100年前と変わってないともいいます。

 

ソーシャルディスタンスを守って動かないこと。

 

進歩ないものですね。

 

ワクチンや治療薬ができるまでは、

どれだけか自分を律して、行動にも注意しなければ

ならないのかもしれません。

 

正直、精神的にまいりそうです。

 

 

毎日の感染者数の発表はまるで、合格発表

を待つ受験生のような気持ちでみています。

 

結果に一喜一憂してしまいますが、

自分たちが動かないだけでその数が減っていくとしたら、

達成感みたいなものも感じられるかもしれません。

 

逆に増えたときには絶望すら感じますが。

 

今後も無理せず、ささやかな楽しみをみつけながら

毎日を過ごしつつ、

一日でも早く、みんなで喜びを分かち合える日が

戻ってきたらいいなとおもっています。

 

ほんとは、夏になって、ウイルスが消滅してくれたらと

願ってしまいます。

この点については消滅しないという専門家の読みが

はずれてくれないかなー。



0508

by コロンボ

 

keyakinokaikeyakinokai at 11:05

2020年04月30日


 

なんといってもストレスをためないことが

第一だとおもってます。

 

そのために

 

庭に出て外の空気を吸う

家の近所を散歩してみる

ただただ笑える番組を見てみる

ただただ泣ける番組を見てみる

オンライン飲み会に参加する

 そんなことをする友達もいないし

 そもそも飲めない

 でも、楽しそう

コロナについての安心できそうな

 情報をあびる

 得てして、テレビの情報は悲観的な

 ものになりがち、そのなかで

 恐怖心を和らげてくれる情報

 に触れることが大切だとおもいます

母と二人暮らしなので、

 くだらない話をあえてする

逆に顔をあわせすぎないように

 距離を置く

 

世の中がこうした事態になってみると気づく

こともありました。

 

今まで自分が悩んでいたことなんて、なんて

ちっぽけなことなんだろうということです。

 

人とうまく話せない、人見知りをしてしまう

自分が嫌われているんじゃないかと悩む。

(思春期の悩みのようです)

 

正直どうでもいいことなのかもしれません。

そんな悩みは一瞬で吹き飛んでしまいそうです。

(コロナが終息したらしたらで、

 またちっぽけなことで悩むのかもしれませんが)

 

 

とにかく今は、正面からストレスにぶつからないよう

うまく受け流したいものです。

 

こんな時に不謹慎かもしれませんが、

どんなときでも、笑って過ごせるというのが

最強だとおもいます。

 

コロナが終息した時には、心身ともにズタボロ

となっていないように、毎日の笑いを忘れないように

したいです。

 

とにもかくにも、みんな コロナにかからないようにしよう!

 

ご自愛ください。

 

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庭のツツジが満開です

 

by コロンボ

 

keyakinokaikeyakinokai at 09:46

2020年04月23日

自粛はまだまだ続いていきそうです。

 

はっきりいって疲れますし、

人によっては、つまらないから我慢

できないということもあるのかもしれません。

 

自分がコロナにかかって、まわりの人に

うつすかもということが、いまだに

リアルに考えられない人もいるのかもしれません。

 

だから、自粛が長くなればなるほど

街に出てしまう人も増えてしまうのだとおもいます。

 

自分は正直コロナにビビってます。

自己中心的に自分がかかりたくない。

 

まわりにうつすかもしれない、だから注意しようというのも大切です。

 

それとともに「自分を守りたい」でもいいのだとおもいます。

 

自分を守ることが結果としてまわりの人間を守ることに

つながるとおもいます。

 

「自分はかからないぞ」という意識と行動がまわりにうつさないことに

つながる。今はそれでいいのかもしれません。

 

 

精神病を抱えている自分にとっては今の状況は

とても辛いものです。

 

普段でさえ、まわりの状況に左右されたり、環境の変化に

影響を受けやすいので、これほど自分ではどうしようもない

状況というのは精神的によくねーと感じています。

 

しかし、健常者であれ障がい者であれ、誰も経験したことがない

事態にみんな不安だし悩んでいると考えると

自分だけが辛いわけではないとも感じることができます。

 

こんな時だからこそ、みんなもっと、まわりの人にSOS

を出してもよいし、人に頼ってもいいのだとおもいます。

 

人とひと言、電話でもよいので言葉を交わすことだけでも

気持ちが楽になる部分は必ずあります。

 

健常者も障がい者も関係なく不安なんだということが

共有できます。

 

共有することによって、「必要以上の不安」も乗り越えられると

信じています。

 

体調の変化に気を配りすぎるあまり、本当に調子が

悪くなってしまうこともあるかとおもいます。

気に病んでしまわないよう気楽にいきたいものです。

 

最後に一言

 

カラ元気ですが

 

みんなガンバロー!

 

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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 09:43

2020年04月08日

おいしいものを食べて、お風呂にゆったり浸かって、よく寝て、

新しい日を迎えたい。

 

どんなに世の中がざわついていても、

自分の人生分の1の大切な一日であることには

変わりがありません。

 

同じ難局に立っているとしても、

暗く過ごすのか、笑って過ごすのか、

その差は自分の心の健康、体調にも

影響してくるとおもいます。

 

 

テレビのチャンネルを変えるだけで、

現実の世界と虚構の世界との差に

怖さすら覚えますが、

笑って気を抜く時間はとても大事だとおもいます。

 

正直、自分はこわくて、こわくてしょうがないのですが、

自分に言い聞かせるように書いています。

 

できることが制限されて、つまらないおもいを

している人も多いでしょう。

でも、長い冬を越えて、春を迎えたときに

今までとは違う世界がみえてくるかもしれません。

 

そのときは、耐え忍んだ分、ちょっとしたことが

キラキラ輝いてみえるような世界かもしれません。

日常のささやかな生活の大切さをみんなが感じるように

なれば、もっと人にやさしい社会になるかもしれません。

 

普通のことが普通にできる社会が戻ってくることを祈っています。

 

人と人とが警戒しあっている状態はただつらいだけです。

 

そんな状態が永遠に続くことなどあろうはずがありません。

 

今はジッと我慢して、状況が変わって終息したのちには

いっぱい楽しみましょう。

 

そんなときが早くきたらいいな。

 

 

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by コロンボ

 



keyakinokaikeyakinokai at 09:53

2020年04月01日

4月になりました。

 

「第1・2けやき」の名称も「ブレンド」に変わり、

就労継続支援事業所B型として

新たな一歩を踏み出します。

 

今後ともよろしくお願いします。

 

自分自身としては何も変わらないのですが。

 

とりあえず、コロナが収束するまでは

じっとしていようとおもいます。

 

新入学生、新社会人として希望を持っていた人には

出鼻をくじかれてしまった方も多いこととおもいます。

 

自分としても新たな気持ちで春を

迎えられなかったことが残念でなりません。

 

正直、毎日をやり過ごすだけで、

「時間を倍速で進められたらいいのに」

とも感じてしまいます。

 

ただ、無為に時間を過ごしてしまうと

後悔しそうなので、本を読んだり、

録りためた番組などをみながら

家にいる時間も充実させていきたいです。

 

時間が経たないと解決がみえてこない問題

というのは、結構つらいものです。

 

うちの母も80代なので、一日いちにちを

大切にしなければならない年代です。

 

早く時間が経って欲しいが、

毎日、親と一緒にいる時間も大切にしたい。

にかけてみると

やっぱり一日いちにちを大切にしたいのです。

 

暗い状況にあっても、母との些細な会話が大切。

何気ない日常をおろそかにしないように

しようとおもいます。

 

そんな毎日の積み重ねののち、

コロナがいつのまにか終息している、

というのが理想なのですが

どうなることでしょう。

 

みなさんも免疫力をあげて、コロナにかからぬよう

お気をつけください。ご自愛ください。

 

来年は笑って桜がみられたらいいですね。

そのときを楽しみにしています。

 
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最近のお気に入りのアイスです

 

by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 10:21

2020年03月24日

 

ひさしぶりにバスで買い物に行ってきました。

 

バスに乗っている人がみな、会話を

しないようにしている印象がありました。

 

静かだなという印象です。

 

外食で天丼を食べているときも

聞こえてくるのは店員さんの声だけ。

 

スーパーに行っても静か。

買いたいものだけ買ってさっさと帰ってしまう

という印象。

 

人出も少なく、街が沈んでいるような

感じもしました

 

人に対してデリケートになっている自分もいます。

 

誰かがせき払いやくしゃみをするとなんとなく

緊張してしまう。

 

逆に、自分がせきをしないように神経を使う。

意識すればするほど、のどに不快感がうまれ

抑えきれなくなりそうでつらいです。

 

緊張するとせきがしたくなる自分には。

 

 

経済的損失、コロナにかかったらという不安

生活費に困るようになる人たちなど

いろんなダメージがあるとおもいます。

 

それとともに、このような状況になってしまった

ことによる精神的損失も大きいかもしれません。

 

街がどことなく色を失っていくことによって

精神にも影響を与える。

 

うつ病の人はうつ状態が悪化することもあるかも

しれないし、精神が強くないひとはダイレクトに

ダメージを受けてしまうかもしれません。

 

 

精神の病を持っていても明るく、楽しく、

元気よく、清く、正しく、美しく。

 

状況が改善されるその日まで

あまり深刻になりすぎずにありたい。

 

現状が暗いものであればあるほど

ちょっとしたことで喜べる

自分でありたいとおもいます。

 

 

PS けやきでしゃべりすぎて、飛沫を

   飛ばしすぎないように注意したいとおもいます

 

 

 

 

 

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by コロンボ


 

keyakinokaikeyakinokai at 10:08

2020年03月17日


相手がどうゆう人だかわからない状態というのは

不安な状態です。

 

それをおぎなってくれるのが、個人が持っている

経験と想像力だとおもいます。

自分を振り返ってみて、こう言われたらうれしいよな

とか腹が立つよなとか。

 

自分を基準にして相手の感情を想像して、

「どうおもうかな」と考える。

いってみれば自分の主観で相手がどうおもっているかを

決めつけることなのかもしれません。

 

まちがっていることも多いかとおもいます。

 

想像力を使って相手のおもっていることを考える

ことができるのは人間だけができる特権で

あるかもしれません。

 

それがまちがっていたとしても、そうゆうふうにしか

人はコミュニケーションをとれないのではないか

ともおもいます。

 

そんな人間に対して新型コロナウイルスは残酷です。

 

まず、コミュニケーション以前に人に対する恐怖感が

うまれる。

 

だれかにうつされるんじゃないかと、と疑心暗鬼になってしまう。

 

問答無用で人と人が近づくことを許さない。

ウイルスの蔓延によって人と人とを分断していくような

事態がうまれる。

 

いつ事態が収束するのかは誰にもわからない。

 

本当の意味での終息がこない限り、

いちど体で覚えてしまった人が集まることへの警戒心

コミュニケーションをもはばかれるような恐怖心

が人々の心の中に生息し続けてしまわないか

と心配してしまいます。

 

時を経て、こんなこともあったよねと笑い話にできる日が

はやくくることを願います。

 

 

PS 自分が大丈夫なら

   家族が大丈夫なら

   仲間が大丈夫なら

   感がつよくなって、他人を邪険にあつかうようなことに

   ならなければいいなぁとおもいます。

 

 

 

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by コロンボ

 

keyakinokaikeyakinokai at 09:56

2020年03月10日


 

 

先週、一週間はけやきを休んでしまいました。

 

今週からけやきに復帰です。

 

新型コロナに対する警戒心を持ちすぎて

なんとなく休んだのです。

 

毎日、テレビを見たり、本を読んだりする中で

自分をやわらげてくれる話はないかと

拾っていました。

 

そのなかで、テレビでコメントをしていた医師が

新型コロナにかかってもインフルエンザ程度の

症状で収まってしまうひとが多い、

と言っていたのです。

 

どこまで信用してもいいのかはわかりませんが

気が楽になります。

 

未知なものにぶつかると、必要以上に敵を

大きくみてしまう。

そこから不安が生まれるのだとおもいます。

 

それは、自分だけだと思っていたのですが

お店に行ってみると

マスクがない、アルコールがない

トイレットペーパーがない

お米がない、ないない状態になっていました。

 

みんな不安なんですね。

 

コロナストレスで体に不具合がでた

おばあちゃんのはなしもありましたが

コロナにかかることを避けるために

ほかの病気を悪化させてしまうのでは

本末転倒です。

 

今一番欲しいのは

新型コロナをどこまで恐れればいいのか

実際には、かかった人はどの程度の症状で

どのくらいで治っているのか

言ってみれば安心感をあたえてくれる

情報です。

 

深刻な話はいりません。

 

精神病にかかっている人も

(自分だけかもしれませんが)

ことを重大にとらえ過ぎてしまう傾向が

あるかもしれません。

 

こうした中での、安心をあたえてくれる

情報の価値は大きいものだとおもいます。

 

最後に、自分に対して言っておきます。

「気楽にいこうよ」

ころな

by コロンボ




keyakinokaikeyakinokai at 09:52

2020年02月25日

なにかがあったときに、その人が試される。


家族が病気になったとき、どうゆう行動を

とるか。

新型コロナウイルスが蔓延したら

パニックにならないか、かかった人を差別しないか、

買占めに走らないか。


自分は絶対まちがったことはしないとは

言い切れない問題です。


このようなときに、その人の本質が試されているのだと

おもいます。

非日常なことが起きた時に、自分が暴露されて

しまうこともあるということなのかもしれません。


誰でも「不安」を眼前にすると、日常ではとらないような

行動をとってしまう可能性もある。


それはどこでも起こることだとおもいます。


日本でコロナに感染した人が多く確認された地域に対して

そこはもうだめだと早とちりしてしまうこともあります。

ましてや外国から見れば「日本自体がもう危険だ」と

おもわれることは、悲しいですが、ありうることだともおもいます。


精神障がい者が事件を起こせば、それがごくごく一部の

ことであっても、「精神障がい者はみな怖い」とおもってしまう

人がいることと同じなんじゃないかと感じてしまいます。


これほど寂しいことはないのかもしれません。


「個人」のこころに対して、いろいろなことが試されているような

気がしてなりません。


PS 正直言って、自分自身が新型コロナウイルスの問題で、

   他人に対して疑心暗鬼になってしまっているような

   気がします

   他人とのコミュニケーションを分断するような

   今回の事態が、はやく収束することを願っています


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by コロンボ




keyakinokaikeyakinokai at 12:30

2020年02月17日

定価で買った本はちゃんと読む

中古で買った本はちゃんと読まない

1章読むと疲れる

定価で買った本がつまらないと、

 後悔しながら読むことになる

小説は読まない

ためになりそうな本は

 実際には役立てられない

文章の書き方みたいな本を読んでも

 書けるようにならない

なにかをしようとすると本から入りがち

読むそばから頭から消えていく、残らない

2度読みする本はほとんどない

書店で棚をすみからすみまでチェックする

紙の本のほうが好き

ふせんを貼りすぎて、どこが大事だと

 思ったのか、よくわからない

本を選ぶとき、本の雰囲気を重視する

もうちょっと安くてもいいと思っているが

 実際は安いともおもっている

紙の本がなくならないでほしい

文庫と新書が好き

 単行本は重いから

いつでも、どこでも読める

トイレに置いてある


新型コロナウイルスの影響をうけて、

人ごみに出ることが恐怖になっています。


休みの日も家の中にずっといたりして、

息が詰まりそうにもなります。


そんなとき、本を読んで過ごすことで

少し気がまぎれます。


言ってみれば現実逃避です。


今回の事態で、現実と向き合っている

医療従事者の方々、関係して動いてる方々

に対して畏敬の念すら感じます。


個人としては情報に踊らされることなく、

できるだけの対処をしながら(手洗いうがい消毒

マスクくらいしかおもいつきませんが)、

日常は日常として、おこたらないようにしようと

おもいます。


正直、怖くてしょうがないですが。


うぃるす


by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 11:05

2020年02月10日

役割があるということは責任感を

持つということ、やりがいにもつながります。


責任があるということは適当なことができない。

物事に向かう姿勢も変ってくるとおもいます。


家族の中にも役割があるとおもいます。

長男としての役割、次男としての役割

息子としての役割

それらがいいとか悪いとか関係なく

あります。


役割があれば立場が生まれる。

ただ立場というものはそのひとを縛るもの

であるかもしれません。


その立場に対しておもうことがあるのです。


たとえば、電車が遅れたとかで駅員に詰め寄る

ひとがいるとします。

素朴に考えても、その駅員を怒鳴りつけて

解決する問題でもないし、そのひとが悪いわけでもない。

ただ駅員であるという立場が罵声を浴びせられる

ことも仕方がないと受け入れさせている。

罵声を浴びせるほうも当然とおもっている。


こういう空気が社会をギスギスしたものと

感じられるものにしているのではないかと

おもってしまうのです。


立場を配慮しない言葉はエスカレートしがちだと感じます。


自分がもし詰めよられたら、と想像してみる。

自分の視点からばかり見ていると相手に対する不満ばかり

ふくらみがちです。


そこで相手の立場に想像で自分を置いてみる。


立場以前に一個人として相手の痛みに思いをはせてみる。


ひとは関係の中でしか、生きれないものなのだから

最低限、相手の立場に思いをいたすことが

大事なのだとおもいます。


そうはいってみてもなかなかむずかしいです。

でも、相手を責めるようなことばかりにはならないよう

注意していきたいとはおもいます。


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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 12:24

2020年02月03日

将来、いちばん不安なことは高齢者の

ひきこもりになって、孤独死する

んじゃないかということです。


なぜか初対面の人に嫌われているんじゃ

ないかと思い込んでしまうことが多いのです。


実際に嫌われているかどうかは

確かめようがないですし、

わからないことなのですが。


このまま歳を取ったら、近所の人にも

、親戚にも、兄弟にもスルーされそうです。


ちなみに相談できる友達もいません。


なんか人生相談みたいですね。


自分に問題があるとすると

ひとを寄り付けないようなオーラが出ている

つまらなそうな人だと思われやすい

感情がなさそうに見える

むずかしそうにみえる

生理的に嫌い


なんか自分のことをマイナスにとらえていると

それが外面にも表れてしまいそうなので

ネガティブ終了。


でも、最近強く思うんです。


他人が自分をどう思うかは

自分にはどうしようもないということを。


自分では変えられないことを悩んでも

仕方がない。


自分が楽しいと思うこと、快適だと思うことを

自分なりにやっていくことが大切だということを。


その結果「あいつ目に障る」と思われたとしても

仕方がないことです。


そもそも、自分の人生を楽しめていない人と

仲よくなりたいという人もいないですよね。

まず自分のやっていることを肯定して、

毎日を充実させる。


孤独死については、もう少し先に考えたいと思います。


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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 11:45

2020年01月27日


自分が入院していた20年程まえ

患者は圧倒的に受け身の存在

でした。


主導権は先生が握っていて

患者の立場はとても弱かった。


外科的、内科的病気とは違って

何をもって、治療というのかも

よくわかりませんでした。


なんとなく看護師に対しても

「ちゃんとしてなくちゃ」

という気持ちで

きゅうくつな思いをした場面は

多々ありました。


反抗的なことを口にしたら

保護室に入れられるんじゃないかとか

ぞんざいなあつかいをうけるんじゃないかとか。


精神を治すというのに先生や看護師に気を

使いすぎるという本末転倒もありました。


何かにつけて弱い立場だった精神病患者。


現在どうなっているかはわかりません。


いちばんの治療法とは何かを

考えてみます。


一つはコミュニケーションが円滑にいくこと

ではないでしょうか。


先生や看護師と対等な立場で接するくらい

にしていないと、へりくだるような態度

ばかり取っていると、病状もよい方へ

向かわないのではないでしょうか。


自分を抑える方向に向かうばかりでは

治るものも治らないのではないでしょうか。


もう一つ精神療法として重要になるのは

自分を表現していけるかどうかだとおもいます。


自分を表現することについては

ほんの些細なことでいいから自分の思っている

ことを形にしていく。形にしたことで自分の

思っていることが整理されたり、もっと

あらわしていきたくなる。


その繰り返しが精神にもいい循環をうむような

気がします。


コミュニケーションを円滑に取ることと表現すること

これらのことが精神を改善するうえで

より重要になってくる気がします。



 kurumi


by コロンボ

keyakinokaikeyakinokai at 12:29

2020年01月20日

今年は暖冬が続いていくそうですね。


寒さに弱い自分には気持ち的には少し楽です。


でも自分がうれしいということの裏には

農作物などへの影響や、スキーが好きな人

とにかく雪が好きというひとへの

配慮の足りない言い方だということもある

のかもしれません。


一番考えなければならないのは

自分がうれしいとゆうことの

一方には

うれしくないという人がいるという

ことなのでしょう。


人間関係においてもそうなのかもしれません。

他人には自分とは違う価値観がある

ということをわすれがちなうえに

自分の価値観を押し付けてしまう。


自分と同じ意見の人などひとりもいない

くらいにおもっていたほうが、まちがい

がないのかもしれません。


たとえば、障がい者は個性的という言葉で

くくられること(周囲の理解が進む場合も

あるかもしれませんが)と


個人を見たうえで、

結果として

「あの人って個性的だよね」といわれるのでは

印象が全然違うような気がします。


前もって「障がい者は個性的」とくくられると

「自分は個性的じゃないし」と考えなければ

ならなくなってしまいます。


ひとは何かを考えるときにくくってしまったほうが

楽なのかも知れません。


ゆとり世代、さとり世代というような言葉が

令和の時代になっても機能していること自体


その人個人を見るのではなく、そのうえ、その人自体

を尊重していないことの表れのような気もします。


餃子

by コロンボ




keyakinokaikeyakinokai at 11:45

2020年01月14日

先日、テレビで認知症医療の

第一人者の精神科医が認知症に

なったというドキュメンタリー

をやっていたので

何気なく見だして最後まで

見てしまいました。


その先生は認知症の家族の

負担を軽減するため、デイケアの

拡充などの活動をしていた

そうです。


後年、先生自身が認知症になり

デイケアに足を運びましたが

「行かない」と言い出したりして

しまうのです。


ひとはどんなにサービスが

いきわたっていて、そこにおとなしく

通っていれば家族に負担がかからない

とわかっていても行きたくないこともある。


頭で理解できても

感情的に受け入れられないという

ことは多々あることだとおもいます。


自分のことを考えてみると、歳をとったとき、

どうゆう感情を持つかはまったく未知であり

想像もできません。


歳をとって若い時と違うことを

いいだしたとして

「言ってたことと違うじゃん」

と責められても困るとおもいます。



ひとは生まれた時代、環境、年齢、経験

立場によって容易に考え方が変わったり

行動が変化したりするものだとおもいますし

それでいいのだとおもいます。


だってみんなそうだから。


自分を考えてみるとき10年前の自分と

ぜんぜん変ってないとしたら

それはそれで何も成長していないという

ことなのかもしれません。


ただ変化するのはあたりまえとわかっていても

自分の中で

前に言ってたことと全然違うんじゃないかとか

言葉に行動がともなっていないんじゃないかとか

思われることを恐れる部分があるのは事実です。


今回この番組を見て、何事においても

自分が実際その立場になってみないと

本当にはわからないことって

そうとう多いんじゃないかと

おもいました。


もしかすると健常者にはわからない

障がい者としての経験値も

貴重なのかもしれないとも感じます。

病気が自分にもたらした

変化というのもありそうな気もしますし。


そのくらいポジティブに捉え返したほうが

精神衛生上もよさそうです。



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by コロンボ



keyakinokaikeyakinokai at 10:56